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竹田市 姫だるま

大分見聞録 この記事は約 3 分で読めます。

ふるさとおおいたの城下町、竹田市。その町並みを散策すると商店街の店先に上品でおだやかに微笑むお姫様のだるまがよく見受けられます。このだるまが竹田市の無形民俗文化財に指定されている工芸品「姫だるま」です。

「姫だるま」は古くは岡藩時代から三百数十年以上の歴史を持ち、「おきあがり」「福女」と呼ばれ、家内安全・商売繁盛を招く縁起物とされてきました。 現在唯一の制作工房である「ごとうだるま姫だるま工房」さんによると、この「おきあがり」の由来は岡藩の下級武士、雑賀(さいか)氏の妻、綾女(あやじょ)の逸話さかのぼるといわれます。

ある年の暮れ。禄高が少なく夫婦間のいさかいが絶えなかった雑賀家を思いあまって出ようとした綾女が、行く宛もなく納屋の前で二日二晩凍えていたと頃を、心配のあまり探していた夫が助け出しました。この出来事で家族、夫婦の絆を深めた雑賀家は、その後夫も昇格して栄えたという話から、家族円満、商売繁盛の願いを込めた象徴として、綾女にちなんだ女性の形のだるまが作られるようになったということです。

また、竹田独特の風習として、それぞれの家庭の繁栄を願ってこのだるまを正月の明け方に、各家々に配ってまわる「投げ込み」が行われてきました。「投げ込み」といっても乱暴に放り込むわけではなく、「おきあがり」のかけ声とともに 軒先にそっと転がしておいたそうです、配る人をホギト(祝人)といい、配ってもらった家は祝儀を渡してだるまを飾ったと言われます。

松竹梅が描かれた赤い十二単衣をまとい、切れ長の涼やかな目、鮮やかな朱をさしたおちょぼ口に、優しさと清楚な気品が漂う「姫だるま」。例えて言うなら一家を切り盛りする、まさに頼りになる妻、母のような存在なのでしょうね。その無効には思いやりや、お互いに支え合う家族の豊かな心も見えてくるような思いがします。

大正末期まで行われてきたと言われる「投げ込み」の風習も時代の流れの中でいつしか途絶え、かつては五軒、六軒あったという工房も戦後にはなくなってしまったそうです。 戦後復興まっただ中の昭和二十七年、だるまの再興を決意。旧家に残っていただるまを参考に苦心の末、製法を編み出し、昭和三十一年に「姫だるま」として復活させたのが、「ごとう姫だるま工房」の先代、後藤恒人さんです。

何度倒れても起き上がる、美しくも逞しいその姿に癒され。力を頂いた人も多いのではないかと思います。 長い間途絶えていた「投げ込み」も今では地元の青年団などがホギト役を引き継ぎ復活しています。 作る人、贈る人、贈られて喜ぶ人。この三者がそろって「投げ込み」の伝統が成り立ちます。伝統を守ることの難しさ、大切さ、物作りの奥深さ…。かわいらしい「姫だるま」に多くのことを学ばせてもらった気がします。 現在は、先代のお嫁さんである二代目の後藤明子さんを中心に久美子さん、宗子さんのご家族三人で先代の「こころ」を引き継ぎ、工房を営んでおられます。

 

写真キャプション ■19歳で嫁いで以来、先代の想いと偉業を絶やさず、姫だるまづくり一筋。二代目、後藤 明子さん。 ■「先代がなくなってから一人で制作をしてきた母を心から尊敬しています」と語る、後藤家のお嫁さん後藤 久美子さん。

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