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国東市 ペテロ・カスイ岐部

 2023/12/25 大分見聞録 この記事は約 5 分で読めます。

■本名/ 岐部 茂勝(きべ しげかつ)1587年(天正15年)~1639年7月4日(寛永16年6月4日)生誕地/国東市国見町岐部
穏やかな海に囲まれ、緑豊かな山々が連なる国東半島。ここが「ペトロ・カスイ岐部」の生誕地です。こんな長閑な風景のなかで、大志を貫き、壮絶な人生を生き抜いた人物が生まれたことなど、この公園にたどり着くまでは知る由もありませんでした。この公園とは「ペトロ・カスイ岐部記念公園」で文字どおり「ペトロ・カスイ岐部」(以下、岐部)の偉業を讃えて造られたものです。
では、その「ペトロ・カスイ岐部」の人生とは、一体どのようなものだったのでしょう。無信論者の筆者が軽口を叩くようで恐縮ですが、それはまさに「殉教」そのものだったのでは…。勝手な解釈ですが、この二文字の熟語の意味とは、極論すれば筆舌に尽し難い苦しみと同時に、揺ぎない信仰を持ち得たことの幸福を、躊躇なく己の命と引き換えにすることではなかろうかと思います。そう岐部の生き様が語っているような思いがしてなりません。それではここで岐部の生涯をたどっていきましょう。
岐部は一五八七年、豊後国国東群岐部(現・国東市国見町岐部)で大友氏の重臣・父ロマーノ岐部、母マリア波多の元に生まれました。カトリック教徒の両親の間に生まれ一三歳で有馬のセミナリヨに入学、さらに一六〇六年イエズス会入会を志しここで「カスイ」と号しました。それも束の間、一六一四年に江戸幕府により日本全国に「キリシタン追放令」が発布されました。その煽りでマカオに追放された岐部は現地で神父になるべくコレジオで学びましたが、日本人であるが故に、それがかなわぬことを知ります。
それならと、独力でローマのイエズス会本部を目指します。マカオからマラッカ、インドのゴアへ船で渡り、単身で陸路を歩いて途中、日本人ではじめてエルサレムに入りローマにたどり着きました。ローマに到着して、「自分は日本から来た。イエズス会士になりたい」と審査を受け、その適正と学識を認められ、一六二〇年、三二歳で司祭に叙階されました。更に研鑽を積み、一六二三年、他のイエズス会士と共に、インドを目指して南アフリカの喜望峰をまわり翌年ゴアにたどりつきました。ずっとローマにいれば、キリスト教徒として生涯安寧な生活を送ることができたはずなのになぜでしょう?
当時の日本では幕府によるキリシタンに対する弾圧がいっそう強まり、多くの信徒が幕府の拷問をうけて苦しんでいることを岐部は知っていたのです。「救わなければ」の思いが岐部を突き動かしました。日本への宣教師の入国が禁止されていたため、ゴアから東南アジアをまわり一六三○年マニラから日本へ密航、難破しながらも薩摩(鹿児島)の坊津に漂着、十六年ぶりの帰国を果たしました。岐部は多くの信徒達を励ましながら、激しい迫害と摘発をかいくぐり長崎から東北へ潜伏し、布教活動を行っていましたが、ついに仙台領で逮捕され江戸へ移送となったのです。
ここで岐部を待っていたのは棄教を目的とする激しい拷問でした。なかでも「穴吊り」という刑は長時間逆さに吊るされて苦しむ姿を他の信徒に見せ、棄教を促すという大変姑息で陰湿なものでしたが、岐部は隣で吊るされている信徒に「耐えよ、天国にいける」と励ましていたため、穴から引きずり出され、さらなる残虐非道な仕打ちを受け息絶えました。しかし最後まで信仰を棄てずに耐え抜いて殉教したとされています。五二歳でした。
江戸幕府瓦解後も、明治政府まで引き継がれたキリシタンへの長く野蛮な弾圧の歴史を、岐部の足跡を辿り、紐解いたことで、信仰を持つということがどれほど厳しく尊いことなのか、同時に決意、覚悟という言葉の重さを、いまさらながら思い知らされたような気がします。「思想や内心の自由」が保障されることは、大切な権利なのですね。

注釈
*1父ロマーノ岐部:豊後国の戦国大名大友氏の重臣で、大分県国東半島北部の岐部を本拠とする豪族岐部氏の一族。
※2母マリア波多:マリアの実家は、大友氏の重臣波多氏で宇佐神宮の神官をしていた。本拠は国東半島北西部海岸の田福村で宇佐八幡の隣接地域。
*3セミナリヨ:イエズス会によって日本に設置され、1580年から1614年の間に存在したイエズス会司祭・修道士育成のための初等教育機関。
*4イエズス会:キリスト教、カトリック教会の男子修道会。1534年にイグナチオ・デ・ロヨラやフランシスコ・ザビエルらによって創設された。
*5コレジオ:聖職者育成のための神学校(最高学府)。
*6叙階:(じょかい)カトリック教会で、助祭・司祭・司教などの聖職位を授けること。
*7仙台領:岩手県

写真キプション

■ペトロ・カスイ岐部 像/出生地、大分県国東市国見町岐部にセッキ神父により作られたペトロ・カスイ岐部記念公園があり、公園内に昭和40年9月24日にペトロ・カスイ岐部遺族徳顕彰会により設置されました。彫刻家、船越保武(1912年12月7日-2002年2月5日 新制作協会彫刻部創立会員 東京藝術大学名誉教授)作  ※写真の像の背景は現在、法面整備工事が施されており、実際と景観が異なります。

■ペトロ・カスイ岐部記念公園
出生地である大分県国東市国見町岐部にペトロ・カスイ岐部記念公園がある。パウロ・ファローニ神父による井上筑後守政重と捕縛されたペトロ・カスイ岐部神父の像、舟越保武によるペトロ・カスイ岐部の像が建てられている。現在では法面に整備工事が施され景観が異なる。

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