日田市 大蔵 永常(おおくら ながつね)
■農学者 本名/大蔵 徳兵衛 生誕地/日田市隈町 一七六八年(明和五年)〜一八六一年(万延元年 没〈不詳〉)
ロシアによるウクライナ侵攻の影響もあり、軒並み食品が値上がりしています。複合的な要因を呈していますが、それはさておき、日本の食料事情を眺めてみると、その自給率の低さを改めて思い知らされます。我が国の食料自給率は三十数%しかなく、ほとんど外国からの輸入に頼っているのが現状。スーパーで買った野菜をしげしげと見つめながら「日本の農業」にふと思いをめぐらせてみました。
筆者は農村部の生まれであるにもかかわらず「農業」には、とんと疎いのですが小六の頃、親が「この本を読みなさい」と言って私に差し出した本のタイトルが「大蔵永常」だったことを思い出し、当時読んだフリをして、ロクに頭に入れてなかったことを深く反省しつつ、「大蔵永常」(以下、大蔵)の偉業と人生をまじめに紐解くことにしました。
大蔵は、宮崎安貞・佐藤信淵と並ぶ江戸時代の三大農学者の一人で、三河国田原藩産物御用掛や遠江国浜松藩の興産方を務めるというキャリアをもっていました。その出自を辿ると、大蔵は豊後国日田郡(大分県日田市)の製蝋職人、伊助の次男として誕生。子供の時から向学心旺盛でしたが、父親が農民の子に学問は必要ないと、寺子屋の先生にまで文句をつけ、ことごとく勉学の邪魔をしたのでした。
そこで、農業に役に立つ学問をすれば父親も反対すまいと考え、書物から学ぶのではなく「土」から学ぼうと考えました。これが、後に大蔵が残した実践的な農業に関する数々の著書のバックボーンとなったのでしょう。
大蔵の人生に大きな影響を与えた事柄のひとつに日本中を襲った「天命の大飢饉」があります。天命二年(一七八二年)の暮れ頃から異常気象となり、特に豊後国(大分県)は凶作が酷く、道ばたに餓死者の山ができるほどだったのです。
当時の日田の町では、飢えに苦しむ人と、飢饉でも全く困らない人とで二分されていました。日田は商業が盛んな町で、豊かな商人たちは飢饉がそれほど酷くない地域から食料を買い込んでは、大名や武家に高値で売りつけて儲けていたのです。この矛盾をなんとかしなければと思い、それにはまず読み書きができなければと、勉学に励んだのですが、前述の父の妨害を受け、二十歳の頃、遂に家を飛び出しました。
放浪の旅に出た大蔵が目にしたものは農村の貧困という現実。年貢を納めるだけで生活は苦しいばかり。ほかに産物を作って現金化する方法を模索しました。その頃、日本では砂糖の需要が伸びていたのですが、ほぼ中国からの輸入品で高価でした。もし日本の農民が砂糖を作り、お金にかえれば、貧困を救えると思い立ち、唯一国内で砂糖を製造している薩摩藩に潜入し製法を会得したのです。警戒厳重の折、発覚すれば即、打ち首という危険を侵してその後、「甘蔗大成(かんしょだいせい)」という題の書物を記し、サトウキビの栽培、砂糖の製法を伝えようとしたのです。
※広益国産考製茶の頁
大蔵の奮闘はとどまる事をしらず、全国を放浪し、蓄えた知見を活かし農民の生活を豊かにするために奮闘し、赤貧の晩年を送った大蔵かし、「農家益」を初めとする農書を次々と出版しました。それらは未刊のものも含め、生涯で約八十冊もあったとされ、集大成的な意味を持つ「広益国産考」は最後の名著と言われています。大蔵の著作スタイルは、誰にでもすぐ内容が把握できるような、わかりやすいタイトルと精緻な図解や挿絵を多用し、実践的な農学書であると評価されています。
若き日に目にした飢饉の惨状を胸に、農民の暮らしを豊かにするために私財を費やし「金無し大先生」と言われながらも、赤貧を重ね、ひたすら農民に尽した大蔵の生き様。
食品の大量廃棄等の現実を知るにつけ、大蔵の「喝」が聞こえて来ます。
注釈
*1宮崎安貞:広島(安芸)藩出身の農学者著書は『農業全書』の1冊のみだが、内容は明治以前の最高の農書と評価される。
*2佐藤信淵:出羽(でわ)国雄勝(おがち)郡西馬音内(にしもない)村(秋田県羽後町)出身。『農政本論』をはじめとする農政、農学、諸産業学等、多彩な著作活動を展開する。
*3三河国田原:現愛知県田原市
*4遠江国浜松:(とおとうみのくに はままつ)現静岡県浜松市
*5興産方:農業指導者
*6伊助:半農半工であったとされる。先祖は武士で豊後大蔵氏(大友系)の一族。
*7:大蔵の初の著作。天地人三巻からなる。1802年(享和2)刊。天之巻では為政者に副業の利を勧め、地之巻ではハゼの栽培、人之巻では製蝋(ろう)について記す。:大蔵の初の著作。天地人三巻からなる。1802年(享和2)刊。天之巻では為政者に副業の利を勧め、地之巻ではハゼの栽培、人之巻では製蝋(ろう)について記す。
*8広益国産考:大蔵の生涯最後の集大成である。全8巻よりなり、1859年(安政6)に刊行された。宮崎安貞の『農業全書』とともに江戸時代二大農書といわれる。
写真 キャプション
■広益国産考製茶の頁
挿絵も美しく、説明文は、大蔵が実際に試みた体験な どが基になっており、実践的内容であるとされている。