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日田市 日田祇園祭 国重要無形民俗文化財 日田祇園の曳山行事

大分見聞録 この記事は約 3 分で読めます。

大分県の臼杵祇園祭り、中津祇園と並ぶ、「日田祇園祭」は古くから夏の厄除け行事として親しまれており、毎年意匠を凝らして作り替えられる「ヤマ」と言われる山鉾が曳き廻されます。

現在奉納されているヤマは隈地区の三隈町、大和町、竹田地区の川原町、若宮町、豆田地区の下町、上町、港町、中城町の出す八基と平成二年に製作された平成山鉾一基の九基が造られています。

日田祇園とは豆田八坂神社・隈八坂神社・竹田若宮神社の三社の祭礼行事で、この三社の祇園祭りの総称となっています。ちなみに若宮神社は若八幡とも呼ばれ、祇園社を合祀しています。祭神は素盞嗚尊と言われ、平成八年には国の重要無形民俗文化財に指定されています。

祇園の準備は「小屋入り」と呼ばれる山鉾の建造から始まります。この山鉾は多層人形山車の曳山で、全て町内の有志の人達による手作りであり、山鉾に乗せられる人形は華題という題名が付きます。その多くは太閤記や源平盛衰記、義経三本桜、忠臣蔵などの人形浄瑠璃や歌舞伎の名場面が用いられ、地元ただひとりの祇園人形師「長嶋静雄」さんの手によって人形に命が宿ります。この飾りは毎年つくり変えられますが、隈の日田祇園山鉾会館では隈・竹田地区の山鉾が一年を通して観覧することができます。

祇園山鉾会館

山鉾は江戸期から明治初期にかけて、しだいに巨大化したと言われ、現在の高さは、最大の平成山鉾で十一メートル、隈・竹田地区の山鉾が八~十メートル、豆田地区の山鉾は六~八メートル、重量は三トン~五トンに及びます。

山鉾内で演奏される祇園囃子は、江戸から来た小山徳太郎が伝えたと言われ、現在は幕末期から昭和初期にかけての俗曲・端唄・流行歌を演目とし、他の祇園囃子とは楽器構成も曲目も異なるユニークなものです。三味線と笛、それに太鼓で演奏するのが特徴で、独特の音色で山鉾巡行に華を添えます。 ちなみに「日田祇園の曳山行事」はユネスコ無形文化遺産が全国山・鉾・屋台保存連合会に加盟する三十三団体とともに、平成二十八年十一月三十日にユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」として、「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に記載されました。

その翌年、日田市は九州北部豪雨で被災。花月川沿いの豆田地区は、豪雨で多くの商家や民家が床 下・床上浸水し、多大な被害を被りました。そのため曳山行事の九基が勢揃いする二十日の「集団顔見世」は中止されましたが、ユネスコ無形文化遺産登録後、初めて迎える晴れ舞台として、また自然災害や厄除けを祈願すると伝えられる祭り本来の意義が尊重され、七月二十二日からの本祭が例年通り市内の隈・竹田、豆田両地区で実施されました。

伝統文化を守り抜く、熱い思いを込めた山鉾九基が真夏の猛暑の中、豆田八坂神社前を次々に出発。天領日田の町並みを勇壮、華麗に練りました。

写真キャプション ■日田祇園山鉾(やまぼこ)会館 隈・竹田地区の山鉾を一年中見ることが出来ます。 ■夜の「晩山」。山鉾の背部に垂らした「見送り」という懸け幕をはずし、提灯をさげます。この山鉾は提灯山鉾(やま)と言われ、きらびやかに祭りを盛り上げます。

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