別府市 実業家 油屋 熊八
◆一八六三年八月二九日(文久三年七月一六日)愛媛県宇和島市にて生誕〜一九三五年(昭和一〇年)三月二四日没。(享年七一歳)
JR別府駅の東口を出て左手になんともひょうきんな銅像が鎮座しています。その台座をみると「子どもたちをあいしたピカピカのおじさん」と記されています。なるほどたしかに毛髪は乏しいなと思い、横の説明文を読むと別の意味でも「ピカピカ」だったのだと納得しました。
「ピカピカのおじさん」こと「油屋熊八」(以下、熊八)は別府観光の父と言われ、多大な功績を遺した「偉人」です。従来、偉人を崇敬して建てられた銅像は直立不動で、表情を含め威厳に満ちた佇まいを見せるというスタイルが多いのですが、前述のとおり、なんともユニークで、羽織っているマントの端に小鬼がしがみつき、さらにマントの裏側にも小鬼が隠れているという凝った造形で見る人を思わずニコリとさせてしまう面白さと、何とも言えないほっこりとした温かい人情を感じさせる作風になっています。なぜなのか?これは熊八が、ただただ辣腕実業家だったというだけではなく、誰からも愛された人柄だったことを暗示しているように思えます。
ではここで、人間味あふれる熊八の生き様を紐解いていきましょう。 熊八は江戸末期の文久三年、(一八六三年)現在の愛媛県宇和島市で米問屋の長男として生まれました。小さい時から働き者で、一升枡を持つ右手が大きくなったそうです。ちなみに一九三一年(昭和六年)手のひらの大きさを競う「全国大掌大会」を自身が経営する亀の井ホテルの創業記念として別府市公会堂で開催しました。その自慢の右の手形が別府公園の熊八の碑に刻まれています。
一八八九年(明治二二年)町会議員になり、三十歳で大阪で米の相場師として莫大な富を得て「油屋将軍」と呼ばれるものの、日清戦争勃発の影響で株が暴落。全財産を失う事に…。三五歳の時に再起を賭け、アメリカへ渡りました。 放浪のすえ、サンフランシスコである日系人の牧師と出会います。そこで生まれて初めてキリスト教を学び、洗礼を受けました。この時、聖書にあった「旅人をねんごろにせよ」と言葉がその後の生き方を大きく変えたのです。
帰国後、大阪でも知られていた別府温泉に、熊八の持ち前の嗅覚が働いたのか、起死回生をはかり別府を訪れました。一九一一年(明治四四年)、前述の言葉を具現化するために、まず三部屋ほどの小さな「亀の井旅館」から始め、後の一九二四年、洋風ホテルに改装して「亀の井ホテル」として開業したのでした。
別府を世界の観光地へ…。おもてなしの哲学と、アイデアに満ちた大きな構想を胸に、熊八の快進撃は続きました。関西の上空から飛行機で別府PRのビラをまいたり、「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」と書いた標柱を富士山をはじめ全国各地に立ててまわったり、美人バスガイドが案内する観光バスを日本ではじめて走らせたりもしました。七五調の名調子でガイドする「地獄めぐり」は、爆発的人気を博したそうです。
別府を日本有数の観光地に押し上げた多大な功績の全てをここで紹介する事は不可能ですが、別府観光の宣伝費用は、なんと熊八個人の私財・借財で工面していたそうです。 熊八が遺したたくさんの名言のひとつに「生きてるだけで丸もうけ」という言葉があります。この言葉、まさに熊八の波瀾万丈の生き様がぎゅっと凝縮されているような感がしますが、底知れぬ発想の豊かさや視野の広さ、先見性。さらには行動力の源泉だったのだとも思えます。 コロナ禍が追い打ちをしかけるかのような、昨今の混沌として冷え込んだ社会情勢。そんな中でこの言葉を噛み締めてみると、熊八に「負けないで。がんばろうね、きっといいことあるさ!」とそっと背中を押されているような気がしてきます。
注釈 *1ピカピカのおじさん/熊八のまわりには、別府観光のためにユニークな有志人が集まった。皆、子ども好きで、「オトギ倶楽部」を結成し、寓話や歌や演奏を聞かせた。クリスマスにはサンタクロースが水上飛行機から下りてきて、子どもたちを喜ばせたりした。その「オトギ倶楽部」で、熊八は”ピカピカのおじさん”とよばれていた。 *2全国大掌大会/親交のあった久留島武彦を審査員として招いた。久留島は与謝野鉄幹・晶子夫妻らの著名人を呼んで この大会に賑わいを添え、大会の後には集まった子供たちにおとぎ話を聞かせて喜ばせたといわれる。 *3旅人をねんごろにせよ/旅人を心をこめてもてなせ。「旅人の接待を忘るな、或人はこれに由り、知らずして御使を舎したり」(「へブル人への書」第13章2節) 写真キャプション ■別府公園の油屋熊八の碑 公園の西門付近にあり、別府観光の父といわれる油屋熊八の功績を示す記念碑。例年、氏の偉業を讃え、碑前祭が開かれている。 ■別府駅前の油屋熊八ブロンズ像/2007年11月1日に熊八の偉業を称えて建てられた。制作は彫刻家・辻畑 隆子 氏(日出町住)。片足で両手を挙げ、温泉マーク入りのマントをまとっている。また、そのマントの端に地獄めぐりの小鬼がしがみついている。