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大分市 フランシスコ・ザビエル

大分見聞録 この記事は約 4 分で読めます。

◆生誕:スペイン ナバラ王国 一五○六年四月七日 死没:明・広東省上川島 一五五二年一二月

カトリック教会司祭、宣教師、イエズス会創設メンバー  日本に初めてキリスト教を伝えた人物として、フランシスコ・ザビエル(以下、ザビエル)を知らない大分県の人はおそらく多くはないと思います。

彼の名前を由来とする銘菓があるくらいですから、大分県とのかかわり合いも大きいものがあるということが偲ばれますが、まず九州でも強大な勢力をもっていたキリシタン大名「大友宗麟」との関係があげられるでしょう。宗麟は当時、山口で布教活動をしていたザビエルを迎え入れ、ヨーロッパの異文化について積極的に興味と理解を深め、ついには府内(現在の大分市中心部)でキリスト教の布教を許可しました。

ザビエルは二ヶ月ほど府内に滞在し布教活動の後、インドのゴアを目指し旅立ちましたが、その後ザビエルの計らいで府内を訪れた宣教師達は宗麟の手厚い援助のもと、教会や病院、さらには、コレジオ(宣教師を育成する学校)を創設し、布教のみならず、外国語や理科、音楽の授業などを行いました。後に豊臣秀吉が発令した、伴天連追放令で消滅するも、歴史的に見て大分県の文化発展に多大な影響を与えた事は、間違いありません。

当時、府内で活動した宣教師達は宗麟を「豊後王」として讃え、ヨーロッパに紹介しました。さらに宗麟ら、キリシタン大名の名代としてローマに派遣された天正遣欧少年使節が各地で評判となったこともあいまって宗麟の名や日本の事情がヨーロッパで大きく知られるようになりました。まさに国際交流の先鞭をつけたようなかたちでしょうか。わずか二ヶ月のザビエルの滞在が遺した影響は、大変大きかったと言えるでしょう。

では、ここでなぜザビエルが日本に来たのかを紐解いてみましょう。ザビエル来県のずっと後、一六〇〇年に臼杵市の黒島に漂着したウイリアム・アダムス(三浦按針)とは事情が大きく異なります。極東貿易の責務を果たす為に日本にたどりついたという事ではなかったのです。  ザビエルには、わざわざヨーロッパを飛び出し、布教活動に専念しなければならなかった事情がありました。一六世紀前半のヨーロッパでは、マルチン・ルターの宗教改革による「プロテスタント」という新教の波がキリスト教界全域に及びつつあり、これに対抗するためにカトリック修道会「イエズス会」が誕生しましたが、ザビエルはこの創設メンバーのひとりでした。

この修道会は急激に成長するプロテスタントに負けじと、言わばカトリックのグローバル化を目指し、当時の列強であるスペイン、ポルトガルの世界戦略である「大航海時代」を背景に、ポルトガルを起点に東回りでインド、東南アジア、中国に布教する計画を推し進めました。最終目的地は中国とされ、この時点では日本という島国の存在は認識されていなかったのです。

「ではなぜ日本を?」。そのキーマンが「ヤジロウ(あるいはアンジロウ)」という日本人。彼は殺人を犯し、薩摩、大隅に来航していたポルトガル船に乗ってマラッカに逃れます。その地に寄港したザビエルに出会い罪を告白しました。そこでザビエルは日本という国を知り、彼をとおして、高い文化レベルを持つ国だという確信と興味を抱き、一五四九年八月一五日、ヤジロウと共に鹿児島に初めて上陸しました。ちなみに彼は歴史上、最初の日本人キリスト教徒と目されています。

大分の歴史物語のひとつが、実はこの出会いから始まったのだとも思えてきますね。

全世界が同じ苦悩や問題を共有する今、人と人の点を結ぶ線が大きなうねりを生み出し、その先に明るい未来が見えて来る…。そんな世の中でありたいものですね。

 

写真キャプション ■大友宗麟像  宗麟は宣教師のフランシスコ・カブラルから洗礼を受け、洗礼名を「ドン・フランシスコ」と名乗り、正式にキリスト教徒となった。 ■1551年に府内を訪れてキリスト教の布教を行ったフランシスコ・ザビエルの彫像。彫刻家佐藤忠良の作品で、1969年に設置されました。日本までの航路を示した世界地図を背景に、左手に十字架を持ち遊歩公園北端の交差点の角地に佇んでいます。

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