豊後大野市 沈堕の滝
「沈堕の滝」は、原尻の滝と並ぶ豊後大野市の大野川流域にある豊後のナイアガラと呼ばれるほどのスケールの大きい滝で、室町時代に活躍した水墨画家「雪舟」が訪れ「鎮田瀑図」と題して描いたほどの名瀑です。
この作品は雪舟が明国(中国)で会得した山水画の粋を集めて描いた作品で、その後の名作もこの作品を起点に描かれたともいわれています。この「鎮田瀑図」の複製が現地案内板に掲載されていますが、流麗にして、力強く、かつ荘厳な画風に心奪われるに違いありません。
さて、かの画聖「雪舟」に創作のインスパイアを与えた「沈堕の滝」の独特な景観はいかにしてつくられたのでしょうか、それは大地の想像を絶する巨大なエネルギーがなせる業であったのだろうと、なんとなく想像できるかと思います。ちなみに、わが国には日本ジオパーク委員会が認定したジオパーク(日本ジオパーク)と呼ばれる地域があり、そのひとつに豊後大野市のおおいた豊後大野ジオパークも数えられています。
ジオパークとは「ジオ/Geo(地球・大地)」と「パーク/Park(公園)」を組み合わせた言葉で、「大地の公園」という意味があります。「ジオ」「エコ」「ヒト」のつながりを「楽しく知ることができる」地域のことをジオパークと呼んでいます。
豊後大野市は、大野川の中・上流域に位置し、広大で変化に富んだ地形・地質からなり、およそ九万年前に起きた阿蘇火山の巨大噴火で発生した火砕流が冷えて固まった溶結凝灰岩に覆われています。
この大地は、長い時の流れのなかで堆積・浸食を繰り返し、渓谷や滝など豊後大野市特有の変化に富んだ地形を造り出しました。この大地の営みが生んだダイナミックなジオサイトのひとつに「沈堕の滝」があります。この滝は前述の溶結凝灰岩が冷えて固まったことから、垂直方向に無数のひび割れが入り縦方向に岩が崩れ、垂直の崖を形成し、「雪舟」を魅了した景観をつくりあげたのです。これは江戸時代に編纂された地誌「豊後国志」に「垂直分かれて十三条をなす」とあり、十三条の流れを持つ名瀑と称されているのです。
明治四二年(一九〇九年)、滝の落差を利用して、発電が始まりました。滝の上に堰を作り、下流に沈堕発電所が建てられたのです。電気は大分、別府間の路面電車に送られ近代化に利用されました。しかしその後、堰の高さが引き上げられ発電の安定化が図られましたが、一方で水流により滝が崩落することを防ぐため、落水を止めたため、滝の景観が損なわれてしまいました。 しかし、ただの岩壁となってしまった滝も地域の人々の願いもあり、平成八年(一九九六年)崩落を防ぐ工事が施され「垂直分かれて十三条をなす」素晴しい景観が復活したのです。また、岡藩時代の船着き場の跡地など、歴史の痕跡も散見され、長い時の流れのなか人々が「沈堕の滝」と共に暮らしてきたことを物語っています。
年々、深刻化している風水害。地球温暖化がもたらす危機が叫ばれる昨今、「沈堕の滝」が奏でる水音が大切な何かを語りかけているように感じてしまうのは私だけでしょうか。
注釈 ※1ジオサイト:ジオパークの見どころとなる場所。 写真キャプション ■沈堕発電所跡。石造りの壁に美しいアーチを描く窓などに近代建築の片鱗を遺しており、近代文化遺産に認定されています。 ■写真は沈堕の滝「雄滝」。幅97m、高さ17m、下流の「雌滝」があり、幅4m、高さは18m。「原尻の滝」とならぶ豊後大野市の名瀑となっています。