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宇佐市 院内町の石橋

大分見聞録 この記事は約 4 分で読めます。

「石の文化」と言えば、真っ先に「ストーンヘンジ」や「ギリシャ神殿」、「コロセウム」、「ピラミッド」などのような海外の遺跡・文化遺産を連想する方も多いのではと思います。

片や我が国はと言えば、やはりカンナやノミ、のこぎりで「木」に向き合う伝統的な工法による木造建築や、神社仏閣、堂などの歴史的建造物、また仁王像をはじめとする木彫像などの文化財に見られる「木の文化」の方が、一般的になじみが深いと言えるかもしれません。ところがこの中にあって、大分県は「石の文化」についておびただしいほどの遺産を有する全国屈指のエリアなのです。

地質的に見ると大分県には、およそ九万年前に起きた阿蘇火山の巨大噴火で発生した火砕流が冷えて固まった阿蘇溶結凝灰岩が広く分布しています。溶結凝灰岩は適度な強度を持ち、加工しやすく、このように石材として豊富に存在しているということもあり、県内には臼杵石仏をはじめ、全国の七・八割の数を占めると言われる磨崖仏や、宝塔の一種として国東半島に広く分布する国東塔などの石塔類、あるいは日本の名城百選に数えられている「岡城」に見られるような見事な城郭の石垣など、「石の文化」を代表するものは枚挙にいとまがないほど存在しています。

しかし、ここに来て大分県の「石橋」の数が日本一であるという事実をご存知の方は少ないのではないのでしょうか。 識者によると、大分県内に現存する石橋の数は約五〇〇基。そして、そのうちの、六〇基あまり(アーチ橋・めがね橋に限る)が院内町にあるということです。

院内町は、昔から「院内谷」と呼ばれるくらい地形が深い渓谷を形成しており、川の流れも急であることから里の人々は流されない頑丈な橋を切望していました。

また、前述のように石橋作りに必要な材料となる石が豊富に採石できたことに加え、棚田や石垣等を組む技術を持った「優れた石工」が多かったことが、数多くの石橋が架けられたことにつながったのだろうと言われています。

院内町では江戸末期の山村藤四郎はじめ、大正から昭和初期にかけて石橋の名工、二○人あまりが活躍したと伝えられていますが、中でも一九一六年(大正五年)、現在県指定の文化財となっている恵良川に架かる鳥居橋を架設した「石橋王」こと、松田新之助が有名です。

彼は関西でアーチ橋設計の技術を学び、明治三○年に帰郷してから一四基の石橋を手がけましたが、そのうち一一基が現存しています。また、建設途中に崩壊した「富士見橋」をその誇りと信念で、私財をなげうってまでも完成させたというほど石橋に情熱を注いだのでした。

荒瀬橋

院内町の石橋群の特筆すべき点は現存する六〇基あまりのほとんどが、まだ人が渡れる現役の橋であること。これはまさに「人々と共に生きている石の文化」であるということでしょう。

苦労を重ね、丹念に架設された石橋群は、幾多の風雪に耐え、里の人々の日々の暮らしを見守り、文字通り足元から支えてきたのでした。牧歌的でありながらも、凛として気高く、風格あるその佇まいが語りかける先人の技と情熱に、思わず圧倒されるのは私だけでしょうか。

 

写真キャプション ■荒瀬橋/長い橋脚と美しい2連アーチを描く石橋で。橋高は18.3mと  院内町最高の高さを誇っています。 〈市指定有形文化財〉架設者:松田新之助 ■鳥居橋/すらっと伸びた橋脚が独特な気品を感じさせる五連のアーチを描く院内町の代表的な石橋。ローマの水道橋をおもわせ、「石橋の貴婦人」とも呼ばれており、架設者である松田新之助の想いがうかがえる優美な佇まいを見せている。 〈県指定有形文化財〉

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