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臼杵市 吉四六さん

大分見聞録 この記事は約 4 分で読めます。

おそらく、他県の方でも「吉四六さん」をご存知の方が多いのではないかと思います。というのも、かつて起こったTVアニメのトンチや昔話ブームの盛り上がりの中で、昭和五〇年代に光村図書版の国語科教科書に掲載されたことも手伝ってか、「吉四六さん」は脚光を浴び一躍全国区になったからでしょう。

さて、「吉四六さん」は臼杵市野津町の民話である「吉四六ばなし」の主人公ですが、はたして実在したかどうか?諸説ありますが、そのモデルとなったのは廣田吉右衛門という人物で、「きちえもん」がなまっていつのまにか「きっちょむ」と呼ばれるようになったと言われています。

廣田家は、江戸時代初期、現在の野津町で代々小庄屋を務め、苗字帯刀を許された由緒ある家柄でした。吉右衛門の名前は十一代まで代々世襲されましたが初代(寛永五年〈一六二八年〉~正徳五年〈一七一五年〉がその人であろうと言われています。廣田吉右衛門の存在は、その菩提寺とされている野津町にある臨済宗妙心寺派の寺院、普現寺(大友氏、第二代当主大友親秀の五男、親直〈野津五郎頼宗〉が、永仁二年〈一二九四年〉に建立したと言われる大友氏の菩提寺。幻想的な雰囲気で有名な紅葉スポットです。)に初代の位牌が安置されていること、普現寺所蔵の過去帳、墓石の刻印があること等から証明されているとのことです。しかし「吉四六ばなし」はあくまで民話ですので、これが廣田吉右衛門が実際に主人公であったかどうかの証左とは言い切れないとも思われます。

それはさておき、「吉四六ばなし」の数は優に二◯○話を越えていますが、これには明治以降多くの研究者や愛好家により、言い伝えられてきた以外の話も加えられているようです。「吉四六ばなし」は大正十四年(一九二五年)から地元紙で連載され、昭和二年(一九二七年)に初めて本になりました。その後も昭和二五年(一九五○年)宮本清著「豊後の奇人吉四六さんものがたり」が出版され、昭和四九年(一九七四年)には「吉四六ばなし」と続いて行き、さらに前述の国語科教科書に掲載され知名度が高まりました。

昭和四八年(一九七三年)にはこの吉四六ばなしを題材にした県民オペラ「吉四六昇天」が初演され、後に九州を中心に東京などでも上演されました。さらにテレビで全国放送も行われ、全国各地で好評を博すこととなりました。主演の吉四六は大分県出身のバリトン歌手、故立川清登が演じましたが、大分県民オペラ協会はこのオペラの上演等の活動により、昭和五四年(一九七九年)にサントリー地域文化賞を受賞するという快挙を成し遂げたのです。

「吉四六さん」のモデルとされた吉右衛門は八八歳で人生の幕を閉じましたが、野津町観光協会のホームページには、その人柄について、年貢のとりたてに苦しむ庶民の味方になったり、つらく厳しい時代の中で、相談役を努め、持ち前のとんち・奇才で人々の難儀を救ったと綴られています。

今もなお語り継がれる「吉四六ばなし」。余談ですが、野津町も大友宗麟時代にはキリスト教が信仰され、吉右衛門の存命期間には幕府による厳しいキリシタン弾圧が行われたとも思われます。そんな緊張が続く暮しの中で、やり場のない不安から、人情の機微に溢れるトンチや笑いで人の心を救う…。これは人間らしい思考を維持するために、人間らしく生きるためにも、時代を超えて必要なことなのかも知れませんね。

写真キャプション ■吉四六のモニュメント/臼杵市野津町大字西寒田、 国道10号線脇にかわいらしい姿で来る人を迎えてく れています。 ■「吉四六さん」のモデルといわれる「廣田吉右衛門」の像。臼杵市野津町の総合施設、吉四六ランドの一角に佇んでいる。

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