竹田の姫だるま 家内安全・商売繁盛を招く縁起物
ふるさと大分の城下町、竹田市。その街並を散策すると商店街の店先におだやかで上品に微笑むお姫様のだるまがよく見受けられます。このだるまが竹田市の無形民族文化財に指定されている工芸品「姫だるま」です。「姫だるま」は古くは岡藩時代から三百数十年以上の伝統の歴史を持ち、「おきあがり」「副女」と呼ばれ、家内安全・商売繁盛を招く縁起物とされてきました。
現在唯一の制作工房である「ごとう姫だるま工房」さんによると、「このおきあがり」の由来は岡藩の下級武士、雑賀(さいか)氏の妻、綾女(あやじょ)の逸話にさかのぼるといわれています。
ある年の暮れ、禄高が少なく夫婦間のいさかいが絶えなかった雑賀家を思いあまって出ようとした綾女が、行くあてもなく納屋の前で二日二晩凍えていたところ、心配のあまり捜していた夫が助け出しました。この出来事で家族、夫婦の絆を深めた雑賀家は、その後夫も昇進して栄えたという話から、家族円満、商売繁盛の願いを込めた象徴として、綾女にちなんだ女性の形のだるまが作られるようになったということです。
また竹田独特の風習として、それぞれの家庭の繁盛を願って、このだるまを正月の明け方に各家々に配ってまわる「投げ込み」が行われてきました。「投げ込み」といっても乱暴に放り込むわけではなく、「おきあがり」のかけ声とともに軒先にそっと転がして配ったそうです。配る人をホギト(祝人)といい、配ってもらった家は祝儀を渡してだるまを飾ったといわれています。
松竹梅が描かれた赤い十二単をまとい、切れ長の涼やかな目、鮮やかな目、鮮やかな朱をさしたおちょぼ口に、優しさと清楚な気品が漂う「姫だるま」。例えて言うなら一家を切り盛りする
、まさに頼りになる妻、母のような存在なのでしょう。
その妻の向こうには、思いやりや、お互いに支え合う家族の豊かな心も見えてくるような思いがします。大正末期まで行われていたと言われる「投げ込み」の風習も時代の流れのなかで、いつしか途絶え、かつては五軒、六軒あったというだるまを作る工房も戦後にはなくなってしまったそうです。
戦後復興まっただ中の昭和二十七年、だるまの再興を決意。旧家に残っていただるまを参考に苦心の末、製法を編み出し昭和三十二年に「姫だるま」として復活させたのが、「ごとう姫だるま工房」の先代、後藤恒人さんです。
何度倒れても起き上がる美しくも逞しいその姿に癒され、力を頂いた人も多いのではないかと思います。
長い間、途絶えていた「投げ込み」も今では地元の青年団などがホギト役を引き継ぎ復活しています。
作る人、贈る人、贈られて喜ぶ人、この三者が揃って「投げ込み」の伝統が成り立ちます。伝統を守ることの難しさ、大切さ、物づくりの奥深さ…。かわいらしい「姫だるま」に多くのことを学ばせてもらった気がします。
現在は、先代のお嫁さんである二代目の後藤明子さんを中心に久美子さん、宗子さんのご家族三人で先代の「こころ」を引き継ぎ工房を営まれています。
■ごとう姫だるま工房
◎所在地/大分県竹田市吉田889-1
◎交通/JR「豊後竹田駅より車で15分」
◎駐車場/有り
◎定休日/不定休
◎問い合わせ/竹田市観光ツーリズム協会
tel.0974-63-0585
fax.0974-64-1127